
1984年、東京都目黒区でスナックを営む両親の元に生まれる。
小6でX JAPANの大ファンになり、中高生時代はバンギャ。
高卒でキャバ嬢→両親離婚→母と共に実家スナック営業、無休&無給で9年近く働く。
紆余曲折を経て、実家&母と決別。
31歳で結婚!昼の仕事初体験いろいろ。
34歳で初の資格試験、宅建士に挑戦!→合格発表待ち→見事合格!!
1984年誕生、実家はスナック
1984年9月4日生まれ。O型。生まれも育ちも東京都目黒区。
生まれ育った実家では、両親がスナックを営んでいたという、この時点でちょびっと変わったスペック?
幼少期は身内以外からも、スナックに訪れる老若男女様々な常連さん達から可愛がっていただきました。
全く人見知りしない子どもだったようです。
小学生時代にX JAPANの大ファンになる
時を経て1996年、11歳から12歳になろうかという頃、バンドX JAPANに出会いドハマリ!大ファンに!!
猛スピードでXの情報に喰らいつき、ファンクラブにも入会し、ライブにも行ってやるんだ!と意気込むも、ああ無情…
わずか1年後の1997年9月、X JAPAN解散記者会見。
運良くチケットは入手できたものの、最初で最後のXライブ参戦が1997年12月のラストライブという、悲しく切ない思春期の思い出。
※その後2007年のX JAPAN再結成発表に歓喜!現在もライブに参戦しています。彼らがまた活動してくれていることに感謝です。
バンギャ趣味に忙しかった中学生時代
大本命X JAPANの存在もなくなってしまったので、当時シーンが盛り上がっていたV系バンドを追っかけるように。俗に言うバンギャですね。
私の中学生時代=1997年~1999年頃は、主にMALICE MIZERとDir en greyというバンドに熱を注いでいて、ライブやイベントにも通いました。
お小遣い握りしめ、ユザワヤ、新宿オカダヤ、日暮里問屋街、東急ハンズ、原宿やアメ横にあったV系ショップ等で化粧品や布切れを調達し、憧れのV系コスプレデビュー!そして日曜日には原宿・神宮橋へ!
なーんて楽しい青春ではありましたが、すぐに厳しい現実に直面します。そう、高校受験。
決して素行不良ではなく、むしろ真面目な性格でしたが、それに加えて超絶マイペースでもあり、なんだか周りの同級生たちに比べると進学意識が薄く色々と疎かったんですよねぇ。
当初は高校への進学意識も全くなかった位なのですが、「せめて高校だけは出ておきなさい!」と母になだめられ。
どうにもこうにも普通の高校には興味が湧かなかったのですが、受験時期ギリギリに専門学科の存在を知り、俄然やる気が!
そんなこんなで、デザインコースのある女子高校に進学しました。
デザインコースの高校という選択
たまたま地元近くにあった、私立の女子高校デザインコース。
入学早々とあるクラスメイトからいじめられるという、女子校の洗礼には遭いましたが。周りの大人が良き理解者となってくれたおかげで、無事通学&卒業できました。
この高校がとっても楽しい場所でしたねー!
デッサン、絵画、立体造作、彫金、版画シルクスクリーン、Macでフォトショやイラレを使ってグラフィックデザイン、などなど
ありとあらゆるデザインについて学び実践もできて、非常に刺激的な高校生活でした。
特に3年生になると選択授業という制度がありまして、ようは専攻科目ですね。
ここで私は「ファッション」の授業を選びました。
高校生活最後の文化祭で、自分たちで企画・制作するファッションショーを行い大成功!余韻はそこそこに今度は卒業制作へ取り掛かります。
自分でデザイン・制作したウェディングドレス。
とにかく作品づくりが楽しくて仕方なくて寝る間も惜しみ、冬休みもほぼ毎日学校の作業室へ出向きひたすら制作。
バイト代も作品の材料費につぎ込み、とにかく納得がいくまで作り込みました。
と、私の高校3年時はこのように過ごしていたのですが、一般的に同年代の子は大学受験や進路のことで忙しい時期ですよね。
私の進路希望はというと、やはり服飾の専門学校へ行きたかったのですが、当時実家の経済状況が厳しかったため断念。
「行きたい学校があるなら自力で行きなさい」というのが両親からのお達しでしたので、高校卒業後はフリーターで貯金をすることに。
高卒後すぐはフリーターになるも…
高校在学中からバイトしていたアパレル店で、卒業後はフルタイムで働くことにしました。
しかーし、いわゆるアパレル販売員のバイトってお金貯まらないんですよね。
※当時の私がだらしなかっただけです。
給料が安いわりに、自社ブランドの最新の服を常に購入して着用しなければならないし。
そこで高校卒業から半年が過ぎた頃、19歳になり水商売に転身!(安易!)
普通のバイトじゃ稼げない!キャバ嬢になる
地元からほどほどに近い、自由が丘のキャバクラで働き始めました。
実家がスナックだったわりには、水商売のことに無知でウブな私。右も左もわからないままでしたが、なんとなく仕事をこなします。
自由が丘のお店はとても平和な環境でしたが、よそはどんな感じだろう?と気になり初め、こっそり掛け持ちで六本木と銀座の他店でも働いてみたり。
比較してわかったことは、自由が丘のお店は素人っぽい女の子でも好まれ、温かい雰囲気。地元の小金持ちなお客様多めでまったり。
対して六本木と銀座のお店は、やはり東京の夜を代表する繁華街。働く女の子もプロ意識高い、そして殺伐としている。お客様も様々な方がおりギラギラ。
結果的には雰囲気や客層の悪さが合わなくて辞めてしまいましたが、六本木と銀座のお店はとても勉強になることも多く、キャバクラのいろは・接客法を盗むことができ、良い経験となりました。
※自由が丘・六本木・銀座のそれぞれのお店については、当時たまたま私が働いていた一部のお店のことであり、完全に個人の見解ですのであしからず。
そんで、しれっと自由が丘のお店一本で頑張ることになるのですが、気づいたらナンバー1に!楽しくそこそこ稼がせていただきましたねー。
えっ、専門学校進学はどうした?学費は貯まったかって?
稼いだ分浪費し、全くダメでしたね。(やっぱり)
両親の離婚、実家のスナックで無休&無給で働く!
そのままずっと自由が丘のお店にお世話になり働き続けたのですが、私が22歳になった頃。
色々と家族間のトラブルがあり、両親が別居(のちに離婚)することに。
父が女と借金を作り、母がそんな父を実家から追い出す形となりました。
実家のスナックは父がマスター、母がママとして切り盛りしていたので、突如マスター不在のお店に。
家族会議の末、私は自由が丘のお店を辞めて、母と共に実家のスナック営業をしていくことになりました。2006年12月のことでしたね。
…それから様々なことがありましたが。
2006年12月~2015年9月までの8年8ヶ月、無休&無給で実家のスナックを手伝い続けました。
インフルエンザにかかった時と祖父が亡くなった時以外は、一日も休むことはありませんでした。定休日がないのはもちろんのこと、盆も正月も営業するガチの年中無休。
1円の給料も貰うことなく、それでも家計が苦しいからと母に頼まれ、2013年12月からバイトも始めます。
実家のスナックでは毎日朝方まで営業し、さらに平日週3日14時~20時までバイトもこなし。毎月のバイト代は全額母に渡していました。
当時は相当体力もありましたし、+マインドコントロールといいますか、気力でなんとかハードな日々に耐え続けてきました。
そんな私でも、2015年夏頃から気持ちに変化があらわれます。
プライベートではこの時すでに4年付き合っている彼の存在もあり、結婚についてリアルに考え始めます。
仕事についても当初は「家族がピンチだから!困っているなら助けるしかない!」という思いだけで実家のスナックを手伝い始めたのですが、果たしてこの状態いつまで続ければよいの?ゴールはあるの?と疑問に思いはじめ。
このまま家業を継ぐというイメージがなんだかしっくりこないなと、自分の中の本心にようやく向き合い気づくことができたのでした。
穏やかに話し合い、円満に家業から卒業できたら…なんて思うも、残念ながらその願いは叶わず。
私の考えを知ると途端に母は激昂し、私を実家&スナックから永久追放しました。
31歳、実家とスナックから追い出される!人生の転機
そんなわけで2015年9月12日の真夜中に突然実家から追い出され、家族と絶縁されてしまった私です。
急転直下!着の身着のまま追い出されたので、ひとまず彼が一人暮らししていたアパートへ避難。
翌日の昼に再度実家へ行き、必要な荷物すべて彼のアパートへ移動させました。
この日は日曜日でしたので、翌日月曜日には区役所で転出・転入手続きを済ませ、バイト先には普通に行って仕事して、火曜日には本籍のある父方の田舎の役所へ戸籍謄本の請求手続きをして、水曜日には母に実家の鍵を返して完全決別。
郵便物の転送や携帯料金の請求先変更とか、諸々必要な手続きはこの5日間ですべて済ませましたね。
彼が住んでいたアパートは単身者向けで、2人で住むには手狭だったため引っ越しもすることに。
9月21日と22日の二日間で不動産内見をし、お部屋も決定!
そして、9月29日には入籍しました!超怒涛の2015年9月!(笑)
さて入籍もしたことだし、「ウェディングドレス着たいな~」「白無垢も着てみたいな~」なんて憧れもあり、今度は結婚式計画スタートです!
無給で働き続けてきたので、当然ながら貯金ゼロ。なので、ゆっくり1年間の貯蓄期間を設けてから結婚式を挙げることにしました。
ブライダルフェアへ足を運び、2015年11月に会場を決めて成約。挙式・披露宴の本番は2016年10月の大安の日に決めました。
結婚後、ほぼ初めての昼の仕事探し
結婚式貯金のため、それまでお世話になっていたバイト先は退職し、より時給の高い派遣で働きはじめます。百貨店での販売職に就きました。半年間フルタイムで勤めて、目標貯金額もクリア!
その後はもう少しまったりペースで働いて家のこともやりたいなと思い、派遣会社を辞めてパート勤めに。
しみ抜き技術の職人技に興味が湧き、クリーニングチェーンで働いてみたり。
もちろん、結婚式本番も無事に挙げることができましたよ!
クリーニング屋パートは結婚式から2ヶ月後くらいに辞めました。(面倒なお局さんがいたのでね)
その次は地元の家電量販店でパート。ここでは1年近く勤めました。とっても平和で穏やかな職場でしたが、なんだか物足りない気持ちになり…というのも、新しい学びがないのです。
接客業も小売店での販売も充分経験してきたので、新鮮味がなくなってしまったんですね。慣れたルーティンワークになると、どうもつまらなくなってしまう私の性格。
そこで、全く経験のない仕事に転職しよう!と決めました。私が未経験の仕事といえば、いわゆるオフィスワーク、事務職。
(ワード・エクセル・パワポ等のソフトや電話応対を学び、オフィスワークスキルを身につけたかったのです。)
条件を絞って求人検索し目に止まったのは、不動産仲介会社の事務パートでした。
この会社、町なかによくある(ガラス張りの入り口に賃貸情報の紙が沢山貼られているような)不動産屋風情の感じでは全くないのです。顧客は富裕層オンリー、投資向け一棟もの売買専門!な不動産仲介会社でした。
運良く採用され、望んだ通り初めて覚える仕事も多く新鮮。2017年11月に入社し、現在もお世話になっています。
人生初の国家試験、宅建士に挑戦!
そうして働いていると、他の従業員から宅建試験の話題が聞こえてきます。
「宅建とはなんぞや?名前だけは昔から聞いたことあるけど、どんな内容の資格なのかはサッパリだわ」なーんて、2018年春頃までは本当にその程度の認識でした。
しかし急にスイッチが入る私です。ゴールデンウィーク辺りからいきなり宅建試験受験を決意します!
高卒でほぼ水商売1本だったし、こういった資格試験自体に縁がなかったので好奇心といいますか。人生初の国家試験にチャレンジしてみたくなったのです。
宅建試験本番は10月21日、もう半年切っている頃から勉強スタート。それもガッツリ時間割いて勉強するようになったのは直前1ヶ月間でした。
もうね、こんなに勉強に集中したのなんて中3の受験勉強以来ですわよ。
そんなわけで試験受けてきまして、12月5日の合格発表待ちな状態です。
追記:見事一発合格が叶いました!
おわりに
だらだらと長文で私の半生を書かせていただきました。ここまでお付き合いくださりありがとうございます!
22歳から31歳までの長い年月を家業に捧げ、金銭苦から行動や付き合いもだいぶ制限されていました。
でも、その時の経験から学ぶものも多かったのだと今では思います。
31歳でまさに青天の霹靂!環境も人間関係もそれまでとはガラリと変わり、はじめは不安に思い悩むこともありました。
でも新しい仕事を覚えたり、プライベートでも新しい体験をどんどんしていき、次第に自信が持てるようになりました。
むしろ今では毎日ワクワク!自信に満ち溢れ、死ぬまでにうーんと沢山の初体験をしていこう!と思っております。
遅蒔きながら…いや、年齢は関係ないですね。勉強する楽しみも覚えたので、これからも色々なことにチャレンジしていきたいです。
そんな前向きモード全開になったゆのが、みなさまにお伝えしたい情報を当ブログから発信していこうと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします♪
このブログを書いているゆのと申します。